富沢祥也(とみざわ しょうや)さんという方で、享年19歳という若さだった。
交通事故で亡くなった友人のことを、ふと思い出した。
プロスポーツには、命がけの危険な競技もある。
それに比べて、自分の人生を振り返ると、平凡だが安全な日々だったと実感する。
自分はまだ死んでいない。
残されている時間を大切にしようと、認識を新たにした。
たるんでいた気持ちを引き締めて、一生懸命、課題に取り組もう。
時事ドットコム:19歳富沢選手が事故死=オートバイ・サンマリノGP-イタリア
【ロンドン時事】5日、イタリアのミサノで行われたオートバイの世界選手権シリーズ、サンマリノ・グランプリのモト2クラス決勝で、富沢祥也(とみざわ・しょうや)選手が転倒して負傷、搬送先の病院で午後2時20分(日本時間同9時20分)に死亡が確認された。19歳だった。
富沢選手はフルスピードで走行中にコーナーで転倒。後から来た2台のバイクにはねられ、40メートルほど飛ばされた。頭部や胸、腹部を強く打っており、致命傷になったという。

↓富沢祥也選手が優勝した、2010年のロードレース世界選手権Moto2(カタールGP)の記録映像
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Honda | 富沢祥也がMoto2初のウイナーに輝く!
富沢祥也(Moto2 優勝)
「Moto2クラス初レースで優勝することができて本当にうれしい。250ccもすごく楽しいバイクだったが、CBR600RRのエンジンを使うモト2クラスは、さらにエキサイティングで面白い。今日は、トップグループについていければいいと思っていたが、前を走る選手たちの隙をついて前に出ていったら、いつの間にかトップに立っていた。すごく緊張したが、優勝できてよかった。次の日本GPも表彰台に立てるようにがんばりたい」



富沢祥也選手の転倒後、まずAlex de Angelis(アレックス・デ・アンジェリス)選手が追突して、その後Scott Redding(スコット・レディング)選手が追突した。
・最も遠くまで飛んでいったのが、スコット選手。
・その手前まで飛んでいったのが、アレックス選手。
・その手前で止まったのが、富沢祥也選手。
●アレックス・デ・アンジェリス
1984年2月26日生(26歳)
alexdeangelis.com Official website (Italian)
Alex de Angelis - Wikipedia
Honda | ロードレース世界選手権 | アレックス・デ・アンジェリス
リーディングとデ・アンジェリス、大怪我なし | The Official MotoGP Website
富沢の転倒後、接触を回避することができなかったが、幸い大きな負傷からは逃れることができた。
マーク・VDSのスコット・リーディングとJiRのアレックス・デ・アンジェリスは、第12戦戦サンマリノ&リビエラ・ディ・リミニGPの決勝レースで転倒を喫したが、大きな怪我に見舞われなかった。
トップグループで走行中の12ラップ目、4番手を走行していた富沢祥也が転倒。直ぐ後ろを走っていたリーディングとデ・アンジェリスは、時速200キロを超えるスピードで走っていたことから、目の前で横転した富沢との接触を回避することができず、激突後に激しく転倒を喫した。
17歳の英国人ライダー、リーディングは、背中を裂傷したことから、メディカルセンターで10針縫った。
チームマネージャーのミシェル・バルトメリーは、「スコットの転倒は激しかったことから、背中を切っただけのケガで済んだことに感謝しています」と、説明。
「我々は、レース中のアクシデントにより亡くなった富沢のニュースに、心から深く悲しんでいます。彼は尊敬するライバルであり、パドック中が大変寂しく思います。今、私とチーム全員は、彼の家族と友人たちと一緒にいます。」
地元グランプリに参戦したデ・アンジェリスは、路面に叩きつけられた、大きなケガはなかった。
「ショーヤに起きてしまったことがすごく悲しい。家族をはじめ、彼を愛する全ての人たちに対して申し訳ない。今はこれ以上のことは言えない」と、言葉少なく、サーキットを後にした。
●スコット・レディング
1993年1月4日生(17歳)
www.scott-redding45.co.uk – Official website
Scott Redding - Wikipedia
スコット・レディング - Wikipedia

●AKB48 板野友美
AKB48最新情報! : <AKB48>板野友美が富沢祥也選手のグリッドガールに決定!
AKB48の板野友美さんが富沢祥也選手のグリッドガールになることが決定!
※グリッドガール・・・決勝レースまえのグリッド上のライダーの横に立って、パラソルなどを持っている女性を、テレビなどで見たことがあるのではないでしょうか!?
富澤選手からのアプローチで48(富沢選手のゼッケン)つながりということで、コラボレーションが実現したようです!板野友美さんもサーキットに足を運ぶのは初めてだそうで、「今から楽しみです!」とコメントをされています。きっと活動の合間で色々と忙しいかと思います..
富沢祥也 - Wikipedia
富沢 祥也 (とみざわ しょうや、1990年12月10日 - 2010年9月5日)は、千葉県旭市出身[1]のオートバイレーサー。2008年の全日本ロードレース選手権250ccクラスシリーズ2位。2009年から2010年までロードレース世界選手権に参戦した。
富沢 祥也 - FC2ブログ
富沢祥也選手を愛する皆様へ 2010/09/06(Mon)
いつも富沢祥也選手を応援してくださって、ありがとうございます。
私は、このブログを管理させていただいている者です。
今回の事は、あまりに突然の出来事で、私自身大変戸惑っています。
この度、皆様から本当にたくさんのお言葉を寄せていただき、感謝するとともに「祥也選手がこんなにたくさんの方々に愛されていたのだ。」と改めて実感している次第です。
申し訳ありませんが、今後コメントについては皆様からのお言葉を、ひとつひとつ読ませて頂きながら、更新させて頂くことにさせていただきます。
できる限り更新して参りたいと思っています。
ただ、掲載までに少し時間がかかってしまう事、また掲載出来ないものもあります事をお許しください。
また、私に対してまで温かいお言葉をいただいており、ありがとうございます。
しかしながら、管理人宛のコメントについては、掲載は控えさせていただきますこと、ご了承願います。
皆様の温かなお気持ち、心より感謝いたします。
ありがとうございます。
時速200キロで転倒したら、後続車も避けようがないよな~。
後ろから突っ込んできたバイクも空中を舞っているぐらいだから、衝突の衝撃はものすごかっただろうと想像される。
R.I.P.