パルマコンという言葉についてメモしておきます。
パルマコン - Google 検索
脱構築 - Wikipedia
デリダは、プラトンの中期対話篇の一つ『パイドロス』をモティーフに、古代ギリシア語の「パルマコン」という言葉を使って、脱構築を試みている。
『パイドロス』の末尾では、ソクラテスがエクリチュールを批判し、パロールの優越を掲げているが、同作品の冒頭で、イリソス川を渡りながらソクラテスとパイドロスが古い言い伝えについて雑談する際に登場する言葉が「パルマコン」である。
「パルマコン」は「毒」を意味すると同時に「薬」をも意味する点で、決定不可能性をもつ。
この多義性は豊かさでもある。
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(p.5)
はじめに――特攻の物語のどこで号泣するのか?
「パルマケイアの泉」という古代ギリシャの伝説があります。
その泉の水は大変おいしいので人はこぞって飲みたがるが、このおいしい泉の水を飲むと泉にひきこまれて死ぬという。
このパルマケイアという名前の泉は、乙女を誘って戯れながら死に追いやった不吉な泉の精(ニンフ)として言い伝えられ、プラトンの対話篇『パイドロス』のなかで一瞬だけ登場します。ソクラテスが話題に出してすぐに、ただの言い伝えだから真面目に取り上げるに値しない、と打ち消した挿話です。
その一瞬を見逃さなかった哲学者のジャック・デリダが「パルマコン」を概念化して独自のエクリチュール論を展開しました。パルマコン(pharmakon)とは、治療薬でありかつ毒薬でもある、とうい両義的で決定不可能な概念です。薬=毒の両義性には「良薬は口に苦し」や自然や生命を損なう介入、という側面もあります。薬物のそうした本来的な両義性を適切に制御するために薬理学(pharmacology)が生まれました。
ここで忘れてはいけないのは、もともとこの泉の水が「大変おいしいので飲みたくなる」ものであり、かつ「飲むと引き込まれて死ぬ」という点です。つまり「死ぬとわかっていても飲まずにはいられない」という〈妖しい力〉です。「死ぬ」とは、私たちがそのなかで日常を営んでいる市民社会の論理の外部へ連れ出されることの比喩です。そして、それが吉と出るか凶と出るかもまた――決定不可能な両義性に委ねられるというわけです。
本書では、特攻文学をパルマコンとして読みます。
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