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    コヘレトの言葉

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    昔の文献で「コヘレトの言葉」という書物がある。
    古代のユダヤ教の本で、人間の観察や、生活の知恵のような話が書かれている。

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    コヘレトの言葉 - Wikipedia

    『コヘレトの言葉』(コヘレトのことば、ヘブライ語:קֹהֶלֶת)、あるいは『コヘレトの巻物』(מְגִילָת קֹהֶלֶת)または『コーヘレト書』は旧約聖書の一文献で、ハメシュ・メギロット(五つの巻物)の範疇に含まれている。
    ハメシュ・メギロットとは旧約聖書の諸書に属する五つの書物、『コヘレトの言葉』、『雅歌』、『哀歌』、『ルツ記』、『エステル記』を指すユダヤ教の概念である。



    「コヘレト」は、七十人訳聖書で「エクレシアステース」(ギリシア語: Ἐκκλησιαστής, Ekklēsiastēs; 「集会で語る者」の意)と訳されて以来、「伝道者」「説教者」という意味の普通名詞として解釈されてきた。
    しかし近年では、ほとんどの研究者が固有名詞ないし筆名として解釈している。

    日本語訳においても、かつては『伝道之書』(明治元訳)、『伝道の書』(日本聖書協会口語訳)、『伝道者の書』(新改訳)などといった訳題が用いられてきたが、新共同訳では、「内容はむしろ伝統的信仰を問い直そうとする性格が強く、従来の表題は内容を適切に表しているとは思われない」という見地から、「コヘレト」を固有名詞とする解釈に基づき、『コヘレトの言葉』という訳題が採用された。聖書協会共同訳もこれを踏襲している。



    『コヘレトの言葉』は知恵文学に属しており、コヘレトを介して、宗教、民族を超えた普遍的な疑問(人生の空しさ、諸行無常、「国破れて山河有り」といった国や社会について)の哲学的考察が試みられている。
    同書において提示される世界観は、旧約聖書の中で異色である。
    そのため、キリスト教やユダヤ教を信仰していない異教徒や無宗教者、さらに不可知論者などにも、大きな違和感を与えることが少なく、比較的馴染みやすい。



    伝統的な解釈に従えば、賢者と讃えられたソロモンは、人生の意義と全生涯にわたって幸福を得るために必要な行いについて、論理的かつ哲学的な探求を実践していたとされている。
    その結果、一般的に幸福をもたらすとされる知恵、正義、女性、家族、財産、信仰といったものはむしろ相応しくなく、これらのものは絶対的な満足感をもたらすどころか、逆に欲望を増長させるに過ぎないと結論する。

    ソロモンは人生の意義に有益な格言を見つけてはそれを自賛していたのだが、いつも次の瞬間には不満になり、なぜそれが格言として不適格なのかを解き明かす。
    いわく、格言とは人間に、痛み、苦しみ、虚しさをも覚えさせるというのであった。
    人生のあらゆる出来事を心に刻み込んだ晩年のこと、ソロモンは人生に秘められた真の意義と人間を幸福に導く生き方について熟考しているとき、ついに極意を得るに至る。
    それを言葉にしたのが、すでに引用した12章13節の一文である。



    すべてに耳を傾けて得た結論。
    「神を畏れ、その戒めを守れ。」
    これこそ、人間のすべて。
    — (12:13)



    いくつか文章を読んでみると、一見「諦観」のように見えるけど、実際にはあきらめに基づく妥協の産物のような思想が見受けられた。
    これでは、賢者の言葉と言うには、ほど遠いのではないか?とさえ思う。

    (似たような印象は、エピクテトスの本「人生談義」を読んだときにも感じた。)

    しかし、一応外国の文化を知る材料として、一読の価値はあるだろう。

    そもそもで言えば、
    「神が人間を創造した」
    という創造主の考え方に問題があり、それに基づいた一神教は誤謬という他はない。

    「神」という言葉をどのように定義するかによって話は変わってくるのだが、神の定義に創造主という考え方も入れてしまうと、全てが台無しになってしまう。
    一神教を信じている人は、信じる以前に現実をありのままに観察した方が良い。

    Amazonのレビューにも、以下のようなコメントがあった。

    残念です。
    もう少し冷徹な解読を期待していました。
    「コヘルト」にはいわゆる擬人化された「神」は存在していないと思いますが・・・・。
    「コヘルト」の解読で何故イエスの名を繰り返し、関係のないコメントを盛り込むのか私には理解できません。



    現代では、観察の結果として、科学の知見が蓄積されているのだから、まず最初に科学を学び、その後にもう一度一神教の内容を検討すれば良いだろう。

    創造主という錯覚を訂正するには、「神=自分」という視点を追加すれば解決できる。

    グノーシス主義 - Wikipedia

    グノーシス主義(グノーシスしゅぎ、独: Gnostizismus、英: Gnosticism)またはグノーシス(希: Γνῶσις[1])は、1世紀に生まれ、3世紀から4世紀にかけて地中海世界で勢力を持った宗教・思想である。
    グノーシスは、古代ギリシア語で「認識・知識」を意味し、自己の本質と真の神についての認識に到達することを求める思想である。物質と霊の二元論に特徴がある。

    グノーシス主義は、地中海世界を中心とするもの以外に、イランやメソポタミアに本拠を置くものがあり、ヘレニズムによる東西文化のシンクレティズムの中から形成されたと見られる。

    代表的なグノーシス主義宗教にマニ教がある。



    反宇宙的二元論
    グノーシス主義には様々なバリエーションがあるものの、一般的に認められるのは、「反宇宙的二元論」と呼ばれる世界観である。

    反宇宙的二元論の「反宇宙的」とは、否定的な秩序が存在するこの世界を受け入れない、認めないという思想あるいは実存の立場である。
    言い換えれば、現在、我々が生きているこの世界を悪の宇宙、あるいは狂った世界と見て、原初には真の至高神が創造した善の宇宙があったと捉える。

    グノーシスの神話では、原初の世界は、至高神の創造した充溢(プレーローマ)の世界である。
    しかし至高神の神性(アイオーン)のひとつであるソフィア(知恵)は、その持てる力を発揮しようとして、ヤルダバオートあるいはデミウルゴスと呼ばれる狂った神を作った。
    ヤルダバオートは自らの出自を忘却しており、自らのほかに神はないという認識を有している。

    グノーシスの神話では、このヤルダバオートの作り出した世界こそが、我々の生きているこの世界である、と捉えられる。



    コヘレトの言葉やグノーシス主義など、昔の人々の発想には「創造主」という考え方が散見される。
    そして、創造主と自分の関係をあーでもないこーでもない、といろいろ妄想しているわけだが、どうやってその関係を確認して、他人と共有できる証明方法を提示したのか?…という肝心要な部分がすっぽ抜けているのである。

    様々な生活苦の対処法として、いろいろなアイデアを提案するところまではOKなんだけど、それをさらに創造主が云々~と話を広げると、主語がデカすぎる話となってしまい、大袈裟になってしまう。

    こういった大風呂敷を広げたがる人々の傾向(妄想癖)に対して、我々人類は「圏論」という考え方を導入して、類型化していく必要があるだろう。
    ユダヤ人の思考も、圏論で整理してみたいと思う。

     圏論の道案内 ~矢印でえがく数学の世界~ (数学への招待シリーズ)
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